セレモニー的ガス抜き
ある病院で、事務が、給与の支給額を誤って支給してしまった。遡及しての払い戻しの必要はないものの、来月からの給与が減額となる旨の説明を行った。
この説明をどのように行うかである。
最初から個別で対象者に1人1人説明を行い、懇切丁寧な説明と、意見があれば意見を聴く手法を取るのか。
全体説明会のような場所を何度かに分けて作り集合態で説明をし、必要に応じて個別に説明します、という手法を取るのか。
どちらもメリットデメリットがある。個人の考え方によっても、どちらかがよいか難しいだろう。
前者は丁寧で誠意を尽くしているように見えるが、個別で案内が若干変わってくる危険性がある。そもそも、個別は1人1人のケースに応じてということが前提となる。もちろん、時間を割く労力も大きい。
後者は、事務としては徒党を組んでいろいろ反対される懸念があるうえに、限られた情報しか伝えることができないデメリットはある。しかし、一律の情報は届けられる。
今回は、前者の形を取ったと聴く。
すると、個別説明のなかでは納得したが、対象者を集めて説明とお詫びをしろとの声が湧き上がったようだ。
これは一度説明をして納得しているにもかかわらず、皆を集めてというのはおそらく徒党を組んで問い詰める、のだろうという最悪な事態が想像される。
ただ察するに労働組合などのケースはさておき、給与誤りがあったことへのお詫びを求めることを要求していると思われる。さすがに、誤った給与額の支給継続を求めるとしても本当に出来ると考えているとは考えづらいだろう。おそらく、間違えられたという事象をどこかにぶつけたいという思いがあると思われる。
要求に応じて開催することにも賛否あるだろうが、支給誤りがあったことは間違いないので、事務に求められるのは説明を果たしたとするか、応じて不満のある方たちを集めて再度説明するかである。
結局、開催をするということが今後に遺恨を残さない方式だと思われる。やるなら、早めにだ。
そこでやはり担当者ではなく責任のある事務部長が、病院長同席のもとお詫びをすることだろう。ここでの目的はあくまでガス抜きだ。細かい説明はやはり個別でも行っているので、それ以上の進展はこの場では答えられないとすべきだ。あくまでセレモニー的な謝罪ができるかどうかになる。
役職者はここまでの責任もあり、勝手知ったる人たちに代表してお詫びをしなければならない辛い立場だが、仕事として理解できるかだ。
ともすればメンタルに負担のかかる仕事だが、仕事として取り組むことが出来るかが重要なポイントだろう。周りの経営層はその点をよくフォローし、支える態勢があってほしい。
なかなか難しい問題が多い中、このような対応を迫られることも多いだろう。プライドが邪魔をすることは絶対あるだろうが、一歩引いて見ることができる能力、これはとても重要な資質だと思う。もともと持っているキャラクターだけでは乗り切れないだろう、こういった教えを引き継ぐことや育成はとても難しいだろうが、いかに取り組むべきであろうか。