本部からのお願い
あるとき、グループの各病院が加算や運用の見直しによる改善を図る機会があった。それぞれで目標を立てて取り組み、その成果を発表するとの内容だ。まあ現場からすれば面倒くさい話である。
その際、本部から各施設にメッセージを伝える際、「本部からのお願い」とメールに記載する後輩がいて、修正を求めたことがある。
「忙しい現場にとって、そんなことやってられませんよね?だから私は低姿勢でお願いしてますよー」と言う無言のメッセージが見え隠れしている。なるほど現場担当者に配慮した心優しき世界だ。
しかし、そのメッセージで成果が出るだろうか。「お願い」というメッセージは得てして、「やってほしいけど忙しかったらやらなくて良いですよー」というメッセージを含んでいる。
その共通理解のなかで、「とりあえずやりました」「渋々やりました」と取り組んだ中で、どんな成果が出るだろうか。
学校の試験同様、課せられた課題は各病院で一律であり、全体として改善を図りたいものであるから、1病院たりとも、力を抜かず達成するというのがあくまで全体のスタンスだ。とても各病院のやる気に任せる話でない。
そもそも、この手のものは他の施設と比較される、同期と比較される、◯◯先生や自院の先生に怒られる、自分の施設の経営状態、立ち位置など危機感がなければ動こうとしない。
もしくは優秀な成果が出た施設には報奨を設けるというのは一例だが、モチベーションアップとなる仕組みがあるかだ。
最初、現場にとっても面倒な話で、やってられないということでも、真剣に取り組んだり探求をすると、意外にその病院の根本に関わる問題に直結していたり、意外な弱点などに気づいて新発見をすることもあるものだ。本部も180度違う方向性のことをやりなさい、とは言ってこないだろう。
確かに日々忙しい。よくある話だが、忙しいと言っていてはいつまで経ってもできない。隙間でやっていかねばならない。
「お願い」と言う表現では、危機感は生まれないし、モチベーションアップにも繋がらない。
その表現をやめたからといって、危機感がうまれ、モチベーションアップに直結するものではないが、どの表現がもっとも成果を出すのに適切であるかの話だ。
「お願い」というのは街中の街頭調査か献血か、アンケートだ。
各病院にやって欲しいのはアンケートではなかった。
心優しいことは素晴らしいことだが、メッセージを間違えて履き違えると、成果が大きく変わってしまうことを認識して欲しかった。また、その文面で優しさを評価してくれる人がいるかと言えばかなり疑問符であり、所詮は自己満足。
経営は自己満足のために行っているのではないから、ことばを慎重に選ぶと言うことが本当に重要と思う。